2008.06.26 Thu
constantなeffortでpassiveからescape。
6月に入って以来、ずっと続く体調不良。
・・・恐らくその理由は、なかなか上手くいかない毎日。
最後の試合を2週間後に控えるが、まとまらぬ部活。
授業の空き時間だけではとても間に合わない学校&予備校の予習、復習。
家では課題研究、推薦入試の志望理由書作成。
とにかく、うまく回らない。
さらには、第一志望が某法学部だったのですが、どうもそこがやりたいことと違うような気がして、志望校変更な予感。
本当にこれでいいのだろうか・・・・。そんな迷い。
やる事が多い。
正直、まったく処理しきれていないんですね〜。
冒頭にも書きました、「人生山あり谷あり。」
まさにその通りだと思います。
誰にだって調子の波はある。
・・・・しかしそれを気にするあまり、私は逆に谷を深めている。
「今は調子が悪いけど、きっといつか良くなるときが来るさ。」
この考え方が不調の原因だと思う。
何故か?
待っていても何も変わらないからだ。
私には、過去にもそんな経験がある。
あの時は、一気に重いプレッシャーが圧し掛かってきたのだが、今回は違う。
色々なことが積み重なって、じわじわと圧してきている。
総量は、あの時と同じくらいになっているかもしれない。
タイプは違うものの、精神状態は非常に似ている。
あんなに待つことはハイリターンであると理解したはずだったのに、ふと気づけば、また同じ姿勢になっているではないか。
いくら待っていても何も変化は訪れないのだ。
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断(ふだん=絶え間ない)の努力によって,これを保持しなければならない。」(憲法第12条より)
自由と権利は、不断の努力によってこそ守られる。
常に自由へ向けて努力し続けることが、自由であることに繋がる。
逆に言えば、一度でも現状の自由に満足してしまった時点でそれ以上の自由は手に入らなく、むしろその自由は奪われてゆくのである。
そして、これは個人の問題として当てはめることもできる。
私の場合で言えば「常に好調でいよう」という不断の努力こそが私を好調にするのであり、「私は好調だ」と思ったその時点で、次の瞬間からは不調へ向かってまっしぐらなのである。
しかし、決して常に自己不満足でいることが良いと言っているわけではい。
やはり、それなり(個人差はある)の環境が揃うと人は満足してしまうもの。
問題は、満足して、その環境が奪われてゆく段階に入ってからなのだ。
いかに早く自己の満足、調子の波を上昇させようと、考えを切り替えることが出来るかがポイント。
いつまでも「自分は満足している」と思って自分の調子の下降に気づくのが遅れると、いつのまにか問題が山積みになっていたりする。
私はまさにその状態になってしまったのだ。
いつまでも5月までの充実した日々に浸っていて、気づいたらこの有様。
それに気づいてはいたものの、この状況を打破するための姿勢がいけなかった。
待っていても何も変わらないのだ。
調子を戻すための不断の努力があって初めて調子を戻すことができる。
では、不断の努力とは具体的に何を指すのだろうか?
私の場合は、能動的に動くことだろう。
部活のことで何だかんだ悩んではいるが、いざ部活に行くと、私自身が練習を指示していく(能動的な動き)ため、それはそれで楽しいのだ。
となると、今溜まってしまっている問題や課題も、何とか能動的にとりかかることで突破口が開けるかもしれない。
課題とは「課せられたもの」であり、どうしても受動的になりがちだが、ここを何とか能動的にもっていくことが非常に重要なことなのだろう。
そしてこれは、今だけでなく、これからも人生でも大切なはず。
課せられたものを能動的、主体的に処理する能力。
何としてでも身につけねば・・・・。
| noesis | 01:18 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑







